高等教育は「個人利益」か?
久しぶりにブログを書いたと思ったらグロースまわりでもサブカルネタでもなく、ちょっと真面目な話。
某首相の某うかつな発言から議論が再燃してる感がある「高等教育無償化」について。
jp.reuters.com
ほってんとり入りしてたこの記事、ブコメで叩かれまくってたのでビックリした。
個人的には現時点での高等教育無償化には反対なので、自分の考えをまとめておきます。
全員が大学に行く必要があるのか
反対の一番の理由は「就職予備校と化している大学に全員が行く価値があるのか?」という点。
もちろん、子どもの教育に対する費用対効果の高さは知ってます。
銀行の利率が0.1%前後、どんなに株式投資をがんばっても安定するのは3%前後であることに比べてそれは異常に高い値らしい。
子どもの教育にコストをかけるのは妥当。
しかし、大学で学んだことを仕事で使えている人がどれだけいるのかと。
私は幸いながら大学で学んだことが自分が仕事をする上でかなり役にたっていますが、おそらく多くの人はそうではなく。
これが非常に残念。
また「勉強が好きでもないのに大学に行かせることに意味はあるのか?」という問題もあり。
ただ単に「大学生ライフを堪能したいから」あるいは「みんな行っているからただなんとなく」、そして「就職に有利になるから」行っている人が多すぎる気がしてます。
「勉強が好きで大学に入ってそこで学んだことが仕事に繋がっている」のであればそこでの投資はしっかり社会に還元できていると思えますが、そうでない場合はそれはただのムダなコストではないかと思えてしまい。
そういう意味では、勉強する気も無いのに大学に行くのは「個人利益」でしかないという考えを持っています。
大卒至上主義
さきほど「就活に有利になる」という話をしましたが、「大卒」というブランドが就職において万能なカードになりすぎているのがそもそもの間違いで。
「大卒」というブランドを手に入れることで就職が有利になるのは事実でしょう。
短期的にはそれは正しいことだと思います。
しかし、大きなコストをかけて大学に4年間行ってそこで得るものが「大卒」というブランドだけであるのであれば、それは長期的にはムダなコストだと思えてしまいます。
この記事を書いていて急に思い出したこのツイート。
ただのネタかも知れませんがかなりクール。めちゃくちゃありえそうなシーン。
面接官「学生時代打ち込んだことは?」学生「学校で勉学に励みました」面接官「いや、そうじゃなくて、もっと学生らしいことしてこなかったの?」学生「???」
— シードラ°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° (@H_ASOS) 2012年10月14日
なんのための大学だよ。
高等教育とは
その一方、ここで言う「高等教育」が専門学校なども含むとするとそれは支援されるべきかなと。
Wikipediaで見てみたら高等教育には専門学校なども含むみたい。
高等教育(こうとうきょういく、Higher education)とは、中等教育における学修を受け、学修の成果として学位などの学術称号やサーティフィケートが授与される課程、具体的には、大学(短期大学および大学院を含む)、高等専門学校(専攻科を含む)、専門学校(専修学校専門課程のみを指し、高等課程を含まない)などで行われている教育のことである。
ドイツの教育のように早い段階で専門家を養うような制度であれば、そこにコストを費やすのは大賛成。
(それはそれでデメリットもあるみたいですが)
まあそれも、採用での大卒至上主義をどうにかする必要があるとは思います。
まとめ
ということで、私の主張をまとめるとこんな感じです。
- 教育の費用対効果が大きいことには同意
- しかし現状、勉強する気もなく大学に行く人が多すぎるように思える
- その原因として採用においての大卒至上主義がある
- 「大卒」というブランドを得るためだけに大学に行くのはコストのムダ
- 上記を解決せずに高等教育を無償化しても長期的にはメリットは少ないのでは?
自分の分野にむりやり当てはめると「継続率がめちゃくちゃ低いサービスに広告費をめちゃくちゃかけようとしている」ときの非効率さに似ているという印象です。