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it's an endless world.

グロースをデザインするひと

サルトルに学ぶグロースデザイン、あるいは人間の選択について

growth life

人生は選択の繰り返し

自分の仕事であるグロースデザインについて語る際に、その本質は「いかにユーザの行動をコントロールするか」であるという話をよくしています。

migi.hatenablog.com
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「いかにその行動をさせるか」ということは「いかのその選択をさせるか」ということにほかならないのですが、それを語る根本には「人生は選択の繰り返しである」という私の人生哲学があります。

決めろ。『しかたがない』ことなど、なにひとつない。選べばいい。選びとればいい。だれもがそうしているんだ。ひとりの例外もなく、いつも、ただひとりで、決めている。分岐を選んでいる。他の可能性を切り捨てている。泣きべそをかきながらな

上記は飛浩隆の『グラン・ヴァカンス』からの引用です。
私のその人生哲学を、この一節は的確に表現してくれています。

即自存在と対自存在

ここで、少し唐突ですがフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルについて少し語らせてください。


サルトルの思想として次のようなものがあります。

たとえば「モノを切る」という機能を持つハサミは、その本質(モノを切ること)が存在に先立ちます。
ハサミは、モノを切るために存在しています。

それに対して人間はどうでしょうか?

人間はそのような本質を持っていません。「これのために生きる」「これをするために存在する」ということがわからないまま生きています。

これをサルトルは、人間以外のものが「本質が実存に先立つ」ことに対して人間は「実存が本質に先立つ」ものだとしました。

前者は「即自存在」と呼ばれ、後者は「対自存在」と呼ばれています。

アンガージュマン

本質がない状態で実存する人間は、その行動によって「どうありたいか」を自分で創りあげることができ、創りあげる必要があります。

それをサルトルは「自由」とし、同時に「人間は自由という刑に処せられている」とも言い切っています。

しかし、人間は生まれたときからすでにさまざまな状況の影響をうけ、それに拘束されています。

それを「どうしようもない」「しょうがない」とせずに自分の内に受け入れ、その中で自分の選択で行動を選びとって自らを創りあげていくことが大事で、それをサルトルは「アンガージュマン(engagement)」と呼んでいます。

極端な例にも思えますがサルトルは、戦争が起こってしまえば戦争にかかわらずに生きていくことはできませんがその中でも「戦争に反対だから関わらない、どこかでひっそりと生活する」ということも本人の責任における本人の選択ととります。

私がある戦争に動員されるならば、この戦争は私の戦争である。私はこの戦争から逃避しなかった。私はこの戦争を選んだ。

これはサルトル自身の言葉です。
アンガージュマンは単純に「社会参加」と取られることがありますが、どのようにしようと逃げられない状況のなかでもどう行動するか選択すること、それこそがアンガージュマンだと彼は言っています。


ちなみに、本題とは関係ないですが、このような考えが私の中に根強くあるため、自分の選択に責任を持たなず何もかもを他人や環境のせいにしてしまう人間が私は大嫌いです。

他人にいかに選択させるか

上記のようなことを踏まえると、私がよく言っている「他人にいかにその行動をさせるか」「他人にいかにその選択をさせるか」ということがまた少し違って聞こえてくるかも知れません。

人間がどんな行動、どんな選択をするかは、その人自身の自由に基づきその人自身に委ねられています。

グロースデザイナーができることはただ一つ、「その選択のための環境を作り出すこと」です。

冒頭に挙げた過去の記事で「ユーザにとっての明確なメリットがあれば、ユーザは行動してくれる」と私は語っていますが、AとBという選択肢があったときに、Aに対して明確なメリットを作り出しそれを明示することこそがグロースデザイナーの仕事の中心です。

それさえしっかりとできていれば、ユーザは自分の意志でそのAを選択してくれることでしょう。

短期的なメリットと長期的なメリット

ただし、一つだけ注意すべき点があります。

当たり前の話ではありますが、人間は決して万能ではなく、常に正しい選択をできるとは限らないという点です。

さらに言えば、自分が何かを選択する上で長期的なメリットよりも短期的なメリットを優先してしまう場合があるということを考慮する必要があります。

明日以降、食うに困るお金しかないのにそれを一時的な熱狂のためにパチンコにつぎ込んでしまったり、明らかにダメ男なのに一緒にいることの刹那的な幸福感からいつまでたっても別れることができないメンヘラ女子(あるいはその逆)がその良い例でしょう。

ユーザにメリットを提示するときには、そのことも頭に入れておいた方が良いかと思われます。

まとめ

書きすすめているうちになんかポエミーな内容になってしまいましたが、ここで書いたことは「自分の選択を常に意識し、それに責任を持つ」という私の人生論でもあり、「ユーザの行動をデザインする際に、いかにそれを選択させるか」というグロース論でもあります。


グラン・ヴァカンス 廃園の天使?

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