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グロースをデザインするひと

あしながのサルヴァドール

ついに行ってきました。

生誕100年記念 ダリ回顧展


結局のところ、今日も寝坊してしまったんですが。
それでも12時過ぎに上野に着き、30分待ちの末、入館。
いちおーダリ展の待ち時間としては短い方なのかな。



感想。

お、重たすぎる(((;-д- )=3ハァハァ


質的にも。量的にも。


実は全ての作品を満足できるまで見回れておりません。

なにせこのダリ展、1階部分と2階部分で大体半々のウェイトで作品が陳列されていたのですが、1階部分を見終えた時点で入館から既に3時間半オーバー。。

時間配分間違えた...orz
てゆーかむしろ体力配分。

肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいでした。
おなかいっぱいでした。

なので2階部分はまだあんまししっかりとは見て回れてません。
また行かなきゃだ。



素晴らしい。やはりダリは素晴らしい。
ダリの精神世界に惹き込まれまくりでしたよ。

入ってすぐ2つ目の作品『魔女のサルダーナ』で早くもやられてしまいました。
動けない。絵の前を動けない。
絵を見てるんだけどなんかすぐに妄想の世界に飛ばされちゃって、ふとそんな自分に気づきまた改めて絵を見るんだけどまた妄想の世界に飛ばされての繰り返し。
でもその繰り返しの中、絵の中に色んな発見があって、それに刺激されてまた妄想の世界へ。
ずっとそれを繰り返した後、さすがにもう良いだろうと思って次の絵に進もうとするんだけど、「もうこの絵を生で見る機会は無いのではないか?」という強迫観念的な気持ちに捉われちゃって、先になかなか進めなくてまたその絵を見て妄想を続けちゃう。
んで、気づけば20分とか30分とか、それ以上の時間が過ぎちゃってる、と。

美術館に行くとこういうことがたまーにあるんですが、さすがにオレが大好きなダリ、同じような状態になってしまった絵が1階に置いてある作品だけでもけっこうな回数ありました。

『残照の老人』
『器官と手』
『早春の日々』
『手(良心の呵責)』
『ジャワのマネキン』
『家具栄養物の離乳』
『子供-女の記憶』
『ミレーの《晩鐘》の考古学的記憶の増大』
『奇妙なものたち』

この辺りはそうかな。
『器官と手』『ミレーの《晩鐘》の考古学的記憶の増大』『子供-女の記憶』辺りはこれまで本とかでは散々見てきたものだけど、実物を生で見るのはもちろん初めて。
生の絵画の持つオーラにただただ惹きつけられていました。

しかし、特に印象に残ったのは、今までその存在すら知らなかった(もしくはオレの記憶に残っていなかった)『早春の日々』
一時間くらい見ていたかも。

見ていて惹きつけられた絵の全てに言えるのだけれども、なんかイメージとしては、絵の中にある深い深い海が存在している感じ。
ダリの思想に触れたくて、またはそれとは無関係に自分が何かを感じたくて、水面としてのその絵画から、深層を目指して潜って行くのだけれども、自分自身の能力(知識・想像力など)が乏しいせいで深層まで届かずに息が切れて地上に戻ってきてしまう。でも深層にはどうしても行きたくてまた何度も潜りに行ってしまう。
なんかこんな感じでずっと見てました。


『奇妙なものたち』を見た辺りで集中力はもう途切れかけていたのだけれども、『柔らかな三美神のいる神秘的な砂浜』『船』とかを生で見れたのにも大感動。
その他メジャーな作品諸々は2階にあって、それらも生でじっくり見たかったのだけれども上記の理由で満足できるほどには見れずに帰ってきてしまいました。


疲れた(;´ρ`) グッタリ
良い絵を鑑賞すると色んなこと考えさせられて疲れる。


今までの人生の中、行った美術展で個人的に一番印象深かったのは横浜美術館でやってたマルセル・デュシャンと20世紀美術というこれまたオレの大好きなデュシャンを軸にした美術展だったのですが、今回はそれ以上の衝撃でした。


図録買ったんでお勉強してからまた行こう。
年末辺りに行けるかな。





そんなこんなで予定してたスーパーエッシャー展には行けませんでした。
それもまたの機会に。


でも、ダリ展で見たことについてゆっくりと考え事したいと思って、そのまま帰らずに新宿の大好きな喫茶店、らんぶるへ。
大音量のクラシック。落ち着く。
ついでに先日友達から新宿のLOFTの閉店の情報を聞きつけてたんでちょっと閉店セールをのぞいてみつつ。




どーでも良いんですが、新宿3丁目のいたるところにキリスト教系某宗教団体の方々が無線スピーカー付きの看板持って立って、どっかでやってる演説をずっと中継してました。
クリスマスイヴだからってさすがにそれはどーかと。